倉庫が日本史上に現れたのは、縄文式時代の高床式倉庫にまでさかのぼります。1300年以上前に建造された校倉造で有名な正倉院は、名前に「倉」が入っているように、まさに倉庫として利用されたもので、校倉造の採用によって、温度、湿度をある程度一定に保つことができる非常に優れたものでした。そして奈良時代の末期には、倉庫を維持管理する民間の事業者も現れるようになり、特に港湾地帯では、活発に行われた海上輸送業を補完し、荷捌きや物品保管を行っていました。
倉庫を維持管理する民間事業者は、江戸時代には隆盛を誇るようになります。菱垣回船、樽回船などの大量海上輸送が発達すると、問屋系の倉庫が、江戸、大阪、神戸、新潟などに建ち並ぶようになり、現在の港湾都市へと発展していきます。そして明治時代に入り、民間商人が大量の貨物を処理するようになり、民間企業としての倉庫業の基礎を築くことになりました。そして殖産興業の浸透と共に倉庫の需要は高まり、産業界にあって確固たる地位を築くこととなったのです。
倉庫の維持管理、それに付随するサービスなど、現在の近代倉庫業の形態が固まってきたのは、第1次世界大戦の影響による好景気で港湾修築などのインフラ整備が大々的に行われ、港湾地帯に倉庫の事業者が集結してきた大正時代のことと言われています。その後、昭和に入り、戦時の不況、敗戦と倉庫を取り巻く環境は厳しいものとなりましたが、戦後の朝鮮戦争特需を契機に再び倉庫に関連する事業者は活況を呈するようになります。
倉庫に関連する事業者は、時代が高度経済成長時代に入ると、交通網の整備、大量生産、大量消費などに後押しされ、ますます活況を呈するようになります。倉庫には消費者の旺盛な要求に応えるべく、少品種大量保管による商品が溢れるようになります。この活況はしばらく続きましたが、やがて昭和60年代には、高度経済成長期が一段落し、わが国の経済状況は安定期に入り、倉庫業は一大転機の時代を迎えることになったのです。
倉庫に求められる役割は、現在の経済状況の中で大きく変わりつつあります。最早、大量の商品を保管することだけを求める企業はなくなりつつあります。消費者の要求も多様化し、それに応じて生産物も多品種少量となってきています。またメーカーにとっては在庫をいかに減らすかということも至上命題となってきています。そのような中で、倉庫はこれからどのような役割を果たしていくのでしょうか。倉庫には様々な機能があります。今後、倉庫のどのような機能が見直され発展していくのか、非常に興味深い課題です。